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zoom RSS 悲しみの惑星、地球。そして、大阪・2児置き去り事件に見る『分離』と『統合』

<<   作成日時 : 2010/08/27 04:41   >>

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昨日、朝日新聞の8月22日(日)朝刊が部屋の片隅に置いてあるのが目に入り、そして、目が離せなくなった。それ以来、ずうっと"殺人の動機"が何かを考え続けていたが、今ようやくひとつのストーリー(仮説)が浮かんできた。

最近、無意識のうちに、虐待や殺人などの事件を見たり聞いたりしないようにしていた。もう聞きたくないという気持ちになっていたからだと思う。「2児置き去り」という言葉は新聞の見出しなどでは見ていたが、その事件の内容を知ろうと思うことは全くなかった。でも、それを知る時はやってきたのだ。

新聞の1面左側には、桜子ちゃん(3歳)と楓ちゃん(1歳)の微笑むカラー写真とともに、「ゴミの山 姉弟は寄り添って倒れていた」という見出し。『寄り添って』という言葉が目に飛び込んだ瞬間に胸が熱くなった。これだけで何が起こったのか想像ができてしまった。もう、その記事の前に腰を下ろして読み進めるしかなかった。

内容は、7月30日午前1時過ぎに、マンション3階の真っ暗な室内にベランダから入ったレスキュー隊員が2児の遺体を発見した時の様子だ。力作である。26面にも続きがあり、「毎日子供が泣いている。インターホンで長時間『ママーママー』と叫んでいる」との通報が数回あったことが書かれている。

おそらく、食べるものがなくなり、まず楓ちゃんの方が先に力尽きただろう。3歳にして、かわいい弟を失うつらさを味わうことになった桜子ちゃんは落胆したことだろう。でも、寄り添ってあげたかったのだろう。たとえ動かなくなっても。自分にとって大事な弟であることには変わりはないのだから。人間は、単なる肉の塊ではないのだ。死ねば終わりではないことを3歳児はちゃんと知っているのだ。むしろ、大人の方が、それを忘れてしまうようだ。

どうしても子供の立場になって考えてしまい、切なくなった。保護されなければ生きていけない子供が、暗い密室で力尽きたのだ。かわいそうだ。その言葉に尽きる。悲しい。自然に手を合わせて黙祷をした。そして、わかった。子供たちは純真無垢のままであり、苦しみが最小限となるようにレスキューされ、すんなり元の世界に戻っていると。そして、予定通りに"カルマ"を抱えてしまった母親を別な形で支援する立場に戻ったのだと。この物質世界のノイズがあまりに大きすぎて、精妙な救難信号を受け取ることはやはり難しかった。それは十分に予期されていた。むしろ難しいからこそチャレンジしたはずだ。結果は残念ではあるが、もう仕方がない。くよくよせずに第2ステージの準備に取り掛かれば良いのだと。

これは殺人である。殺人には必ず動機が付きものだ。動機のない殺人はない。この事件の動機はなんだろうか?それが不思議だった。丸一日考えていた。仕事が手につかなかったくらいだ。「自由になりたかった」。それは動機ではないと確信する。なぜなら、我が子への愛に勝る自由など存在しないと思うからだ。人間は愛なくして、自由にはなれない。何かが感情をブロックして、思い違いをしていると考えられる。何かとはなんだろう・・・

どこからともなく浮かんできたストーリーは以下の通り。確かめようがないものだから仮説としておくが、おそらくこのパターンで間違いない気がする。

* * * * * * * * * * * (仮説のはじめ) * * * * * * * * * *

逮捕された母親、早苗さん(23歳)には、前世で負った深い傷があるのだろう。可愛くてしかたがない愛する身内を失ったか、それに近いことだ。そして、不可抗力であるにもかかわらず、それを防ぐことができなかったという自責の念を持ってしまったのだ。さらに、「人を愛すれば必ず傷つく」という誤った条件反射を身に着けてしまう結果になった。そして、愛情を注ぎ続けた相手を失うという圧倒的な苦痛の中で、感情をブロックし、何事にも反応しない防御方法を身につけることで、苦痛をやり過ごすようになったのだ。すなわち、肉体を持って生きていながら、『もがき苦しむ自分』を客観的に見つめている自分がそこに『分離』して存在するようになるのだ。それは、もともと人間が持っている能力と言って良いだろう。その能力自体が悪いことはなく、うまく使いこなすべきものだ。

本来は、苦痛を味わうことで愛の奥深さを確認することが目的だったのだろう。しかしながら、苦痛から逃げることばかりに意図がフォーカスされてしまい、逆に苦痛に囚われてしまったのだ。よく言われるであろう。「痛みのことを考えてはいけない」と言われると、逆に痛みのことばかり考えてしまうと。それが人間の心理のもっとも厄介な所だ。

そして、フォーカスされてしまった苦痛から、意図を完全に開放するために、協力者とともに今世に再びチャレンジしたが、痛み出した古傷から生じた誤った条件反射によって「恐れ」を生み、愛する者の前から逃げ出すという選択肢を選んでしまった。そうすれば、目の前で愛する者を失うという体験をしなくて済むから、という浅はかな理屈からだ。本質的・根本的な解決ではないことに気づくべきだろう。そこですでに愛を感じなくなっているという最悪の事態に陥っている。その事態の重大性に気づく所が第2ステージの始まりだ。

* * * * * * * * * * * (仮説のおわり) * * * * * * * * * *

人間は、宇宙に流れている愛のエネルギーをこの物質世界に投影することができる存在である。宇宙の愛は注いで注いで注ぎ続けるもの。見返りを求めず、どんなに傷ついても何があろうとも、愛のエネルギーを注ぎ続けることこそが生きるということだ。時には立ち止まって休憩することも必要だが、生きて生き抜いていくその中で、愛によって傷は完治し、グレードアップしたマインドを得ることができる。傷つくことを恐れてはいけない。その向こうに『統合した自分』が待っているのだ。一時的に『分離』しているだけだということを思い出す時であり、『分離』の時代は終わりを迎えつつある。その時代はもう終わりで良いのだ。『分離』で得た経験を持ち寄れば、『統合した自分』が立ち上がり、次の時代へのステップアップの準備が整っていく。

歴史は繰り返すのか?違う。螺旋を描いて上昇しているのだ。現時点での自分の位置から真下方向には過去の自分の記憶が並んでいる。そこから1回転して上ってきたということだ。上を見上げれば、未来の自分の記憶(?)が並んでいる。1回転して上っていけば、それが新しい自分となる。先ほどまで居た場所には、その時の人生の記憶がくくり付けてある。

しかも、この宇宙の歴史は陰と陽の二つの螺旋の複合体すなわち二重螺旋であり、さらに、進化の速度は一定ではなく、16ビートで脈動しているということらしい。さらに、短周期は長周期の一部であり、今の時代は、大きなサインカーブの節の部分でもあり、ひとつの大きな切り替わり点を迎えているということだ。すなわち、レベルはゼロに近いが傾き(変化の速度)は最も大きい。それがアセンションであり、変化はすでに起こり始めており、これからもしばらくの間続いていく。その変化を受け入れる準備ができているのならば、受け入れることを選択すればうまくいく。受け入れたくなければ、受け入れないという選択もできる。それぞれ、陰と陽から受ける作用の強さはまったく違うので、どちらが自分の本心からの望みなのか、よくよく自問自答してみるのが良いであろう。

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