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zoom RSS 2011年3月 私も家族を逃がしました。でも判断力の鈍さから出遅れたのを後悔している。

<<   作成日時 : 2012/08/25 14:55   >>

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 1号炉機、3号機、4号機と爆発が続いてようやく決断したから。

 その直前、妻が「混乱した仙台に居たくない」と涙ながらに私に訴えてきたのは天の取り計らいの布石だったと信じています。風向きがこちら向きでないことを確認してすぐに、家族揃って出発。臨時バス乗り場を探し出して日本海側に脱出したのは3/15夜のこと。
(→ 【福島第一原発で3/11〜3/16の間に起こった事実のまとめ】 2011/08/13 15:24)

 終点手前でバス車内で配布されたチラシには当時の限られた脱出ルートが書いてあり、私は西日本へ向かう空路を選び、徹夜で空港のキャンセル待ちの列に並んだ。妻と娘の乗りこんだ飛行機の離陸を見送ったのは3/16昼過ぎのこと。羽田に向かう飛行機もありましたが、あとで妻に聞いた所によると、「仙台が危ないのと同じで羽田も危ないからそれはダメ」と私が言ったとのこと。そんな気はするのだが、言ったかどうか記憶が薄れかけている所がある。

 原発事故の収束の目処がつくまでは家族を仙台には帰さない方が良いと考えました。搭乗口に向かう娘の大粒の涙を今でも思い出します。私の考えていることが伝わってしまったのかもしれない。

 日本海側は雪が降っていました。雪が降っているということは日本海から風が吹いているという証拠。だから、家族をぎりぎり被曝から守れたはずだ、と自分に言い聞かせていました。

 でも無情にも、仙台市の小学校は始業式を4/11に行うという大マヌケな発表をする。私は「何が起こるかわからないから、前日ギリギリに帰って来なさい。飛行機が取れなければ無理に帰って来るな。」と妻に伝えました。

 原子炉冷却水漏れの可能性が報じられた当時、政府・東電からの情報停滞や核種分析の遅れに憤慨し、「家族は自分で守らねばならない」と覚悟を決めました。科学者の端くれとしての経験と直感を駆使すると、影でどんな情報操作が行われているかおおよそ想像が付きます。
 ※ 【追記2012-10/17】
  日本のSPEEDIが速やかに公表されなかったこと。
  英国サイトには放射性物質拡散予報が出ていたこと

 その時の私の心境がブログにメモしてあります。「(原子炉の漏れ箇所の修復が必要ってこと!でも)そんな曲芸を誰ができるというのか?外野は黙って奇跡を待つ・・・私は冷静でないのか?」
(→ 『5日間で1300トン排水してもタービン建屋地下の水位が下がらないという事実 福島第一原発1号機】 2011/03/30 01:22)

 当時から私の気持ちは反原発。その気持ちは今でも全く変わっていない。最近の動きを知って、関東の危険性に注意を払わなかったことを悔やんでいる部分もあります。苛立ち、憤慨の変遷はこのブログにまとめてきました。




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