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zoom RSS 「科学的に証明されている」という言葉で安心するかどうかは、個人の感じ方に依存する。

<<   作成日時 : 2012/08/25 15:13   >>

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学校の教科書であれ専門書であれ、そこに書いてあることは先人の苦労の歴史であり、より多くの人々から支持されている考え方です。でも、それが宇宙の普遍的法則であるとは私は思いません。宇宙は広いんですから。理論は当時の実験データを説明するためのものとして作られます。

既存の理論では説明できない実験データが出てくれば、そこから新しい理論が提案され、検証されていきます。検証には果てしなく時間を要するケースもあります。実験機器の性能が上がり、測定器の精度が上がることによって、既存の理論が修正・変更を迫られることもあります。

では実験データがすべてなのか。違います。実験には不確定な要素がたくさんあり、そのすべてを完全に排除することは困難だからです。数字を取り違えたり、計算ミスをするなどの極めて初歩的なものも不確定な要素の中に含まれてきます。

すなわち、”人間”が取り扱って考えるということが大前提にある限り、客観性の確保はありえないというのが私の中での結論。「科学的に証明されている」という言葉で安心するかどうかは、個人の感じ方に依存します。「客観的である=多数の人を安心させる」なのかなと思う今日この頃。

科学とは何か。科学的であるとはどういうことか。それは短い文言で言い表すことは不可能であると私は思います。たとえば、平尾公彦先生の「(化学と工業:巻頭言)科学者の社会的責任」(の最終段落)を(検索して)参考にしてご自分で考えてみることをお勧めします。

自分は多数派だと思うか。それが安心の拠り所か。多数派であることに何か価値があるか。私はすべて”No!”。自分の直感を大事にし、同時に他の人の直感も尊重し、他人を踏み台にするのではなく、相互に力を合わせてその相乗効果で新しい未来を築く手法を探索する。それが私の考え方。

”脳内お花畑”という表現があるんですか。目の前の現実に生きることはもちろん大事。でも”脳内お花畑”も大事だと私は思う。人間の活力の源流。未来をイメージする能力の獲得のために、自発的な挑戦・鍛錬・失敗の積み重ねは重要な要素。その観点で人間は機械の歯車とは決定的に違う。

【参考】私の得意とする専門分野の一つは物性物理の範疇。基本的に仮定の多い理論に頼ることにはあまり興味が無いので、実験的な発見に足場を置いています。放射線や原子力は射程に入っておらず、その知識はかなり不足気味で、福島原発事故をきっかけにちょっとづつ補充してきた感じ。









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