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zoom RSS 原発依存が間違いであったなら、次はそれをただ単にやめれば良い。ためらう必要はない。

<<   作成日時 : 2012/08/26 11:23   >>

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「福島の人たちにこれ以上被爆させないこと」という最も基本的な考え方はどこへ行ったのか?
福島県知事は、政府は、医者は、高度な放射線の知識・資格を持っていると自負する専門家は、一体何をしているのか?
避難勧告を出すべき立場の人間はどこで何をしている?

「科学的事実に忠実な政府・政府機関は存在しない」という目の前にある事実を私は認めます。残念ではあるがその通りだ。でも、だからどうしたというのだ。信じるか信じないかの判断は必要ない。自分で用心して行動すればそれで良い。

それなりの地位にいる見識深き人物の言葉には、それがたった一行であっても心を打たれる。一方、匿名で見識なき言葉を吐き続ける人物の言葉には、何の感銘も受けることがない。懸命に縄張りを守る野犬のようだ。骨付肉が欲しければくれてやろう。私の本体・本質はそこにいないけれど。

彼らは情熱に満ちあふれる人物を排除したいようだ。なぜ私がそう思うか。それは、あたかも私が「自分が気に入らないものを排除する排他主義者」であるかのように彼らが嘘をついたからだ。その嘘の目的は明らかだ。自分達が他人を排除することを肯定し正当化したいからだ。見え見えなのだ。彼らがそうしたい気持ちはわかる。見識を伴う情熱が多くの人々の心を動かしてしまう事実を認めざるえず、自分達の居場所がなくなってしまうことを恐れるからだろう。

直接やり取りしてわかってきた。非常に貴重な経験だった。似た者同士と思えるものを挙げてみよう。
■文化の押売りにより搾取する植民地政策。
■排他的正義(野犬の縄張り意識)を煽るマッチポンプで存続する軍事産業。
■SPEEDIのもみ消しにより原発安全神話を守ろうとした県知事。
■大量の放射性廃棄物の後始末という負の遺産を山積みにし静かな老後を満喫しようとする原発社会容認主義者。

負の遺産をきっちり片付ける具体的方法と計画、達成の見込み、そして、うまくいかなかった場合の代替案と代理実施者を示すのが、先人としての見識ではないだろうか。たっぷり披露してもらいたい。

私の立場・観点はすでにこのブログで述べてきた。今、付け加えるべきは以下のこと。原発依存が間違いであったなら、次はそれをただ単にやめれば良い。ためらう必要はない。もう原発依存はありえない段階に進んだ。それから、そこに死の谷があるかどうかを確認し、あれば力を合わせて死の谷を突き抜ける。後戻りはない。死の谷がなければ何も問題ない。やってみればわかること。その検証への道を隠したものこそが原発推進だったとはあきれる。





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原発依存が間違いであったなら、次はそれをただ単にやめれば良い。ためらう必要はない。 Behind the Days/BIGLOBEウェブリブログ
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