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zoom RSS 河北新報が連休にぶつける1面3連続特集記事 「核燃再考 青森から 変貌30年」 平穏 核と引き換え

<<   作成日時 : 2014/05/08 23:42   >>

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やはり河北新報は本気だ。5月の連休の真っただ中に1面3連続特集記事をぶつけてきた。(ただし、5/7(水)休刊日をはさむ。)


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河北新報(第1面)   2014年05月05日 月曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140505_23014.html

核燃再考 変貌30年(上) 六ヶ所村のいま 平穏、核と引き替え

 青森県下北半島には東通原発、建設中の大間原発、使用済み核燃料再処理工場など、全国に例のない数の原子力関連施設が集中立地する。核燃料サイクル施設の立地申請から30年たつ。40年前の原子力船「むつ」の歴史を起点に国のエネルギー政策に翻弄(ほんろう)されてきた青森で、核燃問題を考える。(青森総局・狭間優作)

◎人間関係 見えぬ壁なお

 青森県六ケ所村はヤマセの通り道だ。まさかり型の下北半島の柄の部分に位置し、夏に冷たく湿った風が吹く。かつては村民自身が「鳥も通わぬ」と呼ぶ荒涼な土地だった。そこに今、ショッピングモールやコンサートホールが立つ。
 平日の昼、幼子が母親と手をつなぎ、楽しそうに歩く姿があった。建設関連会社の社長種市治雄さん(47)は「核燃が来る前は、そういう平凡な風景も見られなかったんですよ」と話す。

<盆と正月だけ>
 人口は約1万1000人。数字は30年前とあまり変わらないが、昔は基幹産業がなく、子どもたちは中学を卒業すると集団就職で上京し、父親は出稼ぎに出た。一家全員がそろうのは盆と正月だけだった。
 今、村には使用済み核燃料再処理工場やウラン濃縮工場など、建設中も含め日本原燃の核燃料サイクル施設がひしめく。
 種市さんの会社は、再処理工場の保守管理などを手掛け、売上高4億円のうち約7割を原燃関連が占める。従業員は59人。種市さんは「将来も現状維持が目標。社員がいつまでも笑って暮らせれば、それでいい」と生活の安定を一番に考える。

<原燃城下町へ>
 1984年4月20日、電気事業連合会(電事連)が青森県に核燃サイクル施設の立地を申し入れた。その日を境に、村は原燃城下町へと変貌していく。激しい反対運動が起きたが立地は進み、県内で常に下位だった村民の所得水準は急上昇。2006年度には、雇用者所得や企業所得の合計を人口で割った1人当たりの村民所得が1558万円に達し、県内の過去最高を記録した。以来、県内1位を維持している。
 平穏に見える今の村の姿を、昔の闘争を知る泊地区の新聞販売店の松下志美雄さん(58)は、複雑な表情で眺める。「人間関係の修復までに10年かかった。見えない壁は今もある。昔、怒鳴り合った者同士が会話すると、顔が引きつっている」
 漁業中心の泊地区は、核燃をめぐり賛否が真っ二つに割れた。親族、幼なじみ同士がいがみ合い、平穏だった漁師たちの人間関係は崩壊した。

<「想像できぬ」>
 それから30年。漁港で機動隊と激しく衝突した知人は、原燃の警備関係の仕事に就いた。その姿を見た松下さんに、知人は「過去のことは言うな」と、ばつが悪そうに語ったという。
 松下さんはしみじみと話す。「1年を通して、家族が一緒に生活できるということが当たり前になった。核燃に反対とか、賛成とか、そういう議論はもういい。核燃サイクル施設がなくなることは、今は想像できない」

(かつて「鳥も通わぬ」と言われた青森県六ケ所村。中心部にはコンサートホールやショッピングモールが並ぶ)
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河北新報(第1面)   2014年05月06日 火曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140506_23010.html

核燃再考 変貌30年(中) 薄れた関心 反対派、敗れて衰退

<事前に下交渉>
 「青森県下北半島の太平洋側に、核燃料サイクル施設を立地したい」
 電気事業連合会(電事連)の平岩外四会長(当時)は1984年4月20日、青森市のホテル青森で、使用済み核燃料再処理工場、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の3点セットの立地を、北村正〓県知事(当時)に要請した。
 核燃料サイクル事業の第一歩だった。平岩会長は天気の話をするなど余裕が見られた。後日、北村知事は県議会で申請前の下交渉を追及される。否定はしたが、実際は1年以上前から立地への地ならしは進んでいた。
 「絶対に漏らすなよ」
 県企画部長だった藤川直迪さん(84)は83年1月、青森市内の料亭に呼び出された。待っていたのは当時の山内善郎副知事と、日本原燃サービス(現・日本原燃)の平沢哲夫専務。2人から立地のことを知らされ、他言無用と念を押された。藤川さんは「その時初めて、核燃という言葉を知った。これは大変なことになると思った」と述懐する。

<あっさり決定>
 国家プロジェクトの「むつ小川原開発」が石油ショックで破綻し、県は膨大な土地と負債を抱えていた。一方の電事連は九州各地で、再処理工場の立地を拒絶されていた。
 負債に苦しむ県と、立地場所を探しあぐねる電事連。双方の利益は当初から一致した。県議会も要請から1年後、あっさりと受け入れを正式決定した。
 事業は順調に進むかに見えたが86年4月、チェルノブイリ原発事故が起きる。下北の反対側にある津軽地方の農家を中心に、放射能による農産物被害の不安が高まった。
 88年12月、県農協の代表者大会は核燃反対の動議を採択。自民党の支持基盤の農業者の反発は「農民一揆」と呼ばれ、県政界に衝撃を与えた。
 翌89年の参院選は当時相馬村(現弘前市)村議で、リンゴ農家の三上隆雄さんが反核燃を掲げ圧勝。現在80歳の三上さんは「知名度はなかったが、県内どこを回っても反応は良かった」と振り返る。核燃問題への関心の高さを実感したという。

<高齢化が進む>
 勢いに乗った反対派は91年2月の知事選を「天王山」と位置付けた。政権与党と電力業界も、負ければ核燃中止が現実味を帯びるだけに、北村知事を支持する猛烈な選挙運動を展開した。
 結果は、核燃反対派の金沢茂弁護士が北村知事に約8万票差の大敗。以後、91年秋のウラン初搬入や95年の高レベル放射性廃棄物返還などヤマはあったが、反対運動は急速に衰退していく。
 反対運動を続ける六ケ所村倉内の主婦で、市民団体「花とハーブの里」代表の菊川慶子さん(65)が語る。「反対派に勢いがあったのは91年まで。その後は高齢化も進んだ。これからは子どもたちに(核燃の危険性を)伝えていかなくては」

[むつ小川原開発] 青森県六ケ所村を中心とする小川原湖北部に大規模工業基地の建設を目指したプロジェクト。1966年の新全国総合開発計画に盛り込まれ、国と県、経団連傘下の企業が出資し、71年設立したむつ小川原開発会社が用地分譲を進めた。誘致は進まず、99年に同社は2400億円の累積債務を抱え破綻。新会社が事業を引き継いだが、今も分譲地の大半が売れ残る。

(注)〓は哉のノがない文字。

(フランスから初めて返還された高レベル放射性廃棄物の搬入。むつ小川原港では反対派が抗議活動を繰り広げた=95年4月25日、青森県六ケ所村)
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河北新報(第1面)   2014年05月08日 木曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140508_23020.html

核燃再考 変貌30年(下) 再処理の行方 全量、見直しに含み

<地元採用7割>
 青森県六ケ所村の日本原燃本社で4月1日、入社式が開かれた。
 新入社員を前に、川井吉彦社長は「世界最高の技術に挑戦し、世界の六ケ所を目指そう」と熱っぽく語った。式後、弘前市出身の女性新入社員(28)は「青森に根差した企業で働きたかった。エネルギー関連の仕事はやりがいがある」と目を輝かせた。
 地元では「原燃に入れたらエリート」と言われる。ことしの新入社員75人のうち、49人が県出身だった。原燃の社員数は関連会社を含め5569人(昨年4月現在)。県出身は約7割を占める。
 雇用の受け皿となり、地域に多くの仕事をもたらす県内最有力企業の原燃。事業の軸となる核燃料サイクルについて、政府は4月に閣議決定したエネルギー基本計画で、政策の推進を明示した。
 脱原発の流れからは後退した。サイクル推進派は安堵(あんど)する内容となったが、「実は不安な文言がある」と青森県幹部は指摘する。
 核燃サイクル政策の項目の「対応の柔軟性を持たせる」というくだりだ。「柔軟性」には、使用済み核燃料を全て再処理せず、一部を地中に直接処分することが国の念頭にあるとも解釈できる。
 全量再処理という大原則が見直されれば、青森県が大量に抱える使用済み核燃料は「核のごみ」と化す。県幹部は「将来の再処理中止に含みを持たせたのではないか」と警戒する。

<完成20回延期>
 サイクルの要となる再処理工場はトラブルが続き、完成時期が20回延期された。稼働しても使用済み核燃料から抽出される年8トン(フル稼働時)のプルトニウムの使い道が、今はない。ウランと混ぜたMOX燃料を一般の原発で使うプルサーマルは、福島第1原発事故の影響で実施の見通しが全く立たない。
 使途の決まらないプルトニウムの増加について、核拡散を心配する米政府が強い懸念を示す。原燃の吉田薫報道部長は「原子力委員会で、電気事業連合会は再処理開始までにプルトニウムの利用計画を策定、公表すると報告している。利用目的のないプルトニウムが増えることにはならない」と話すが、国際的な理解を得られるか不透明だ。

<「県は撤退を」>
 原発の運転期間は原則40年。各地で老朽化が進み、新規建設は難しい。一方で、核燃料サイクル政策が見直される気配はない。舩橋晴俊法政大教授(環境社会学)は1998年の青森県と原燃、六ケ所村の覚書が、再処理路線継続の背後にあると指摘する。
 覚書は、再処理が困難になった場合、使用済み核燃料は県外に搬出するという内容。保管場所が限られた各原発に、燃料が送り返されることになれば混乱は免れない。
 舩橋教授は「青森は核燃のしがらみに取りつかれている。県は自然エネルギーの推進など、政策立案能力が求められる局面にあることを、もっと自覚する必要がある」と警告し、サイクル政策からの撤退を勧める。

(使用済み核燃料再処理工場の中央制御室。着工から21年たつが、完成時期は不透明だ=青森県六ケ所村)
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