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zoom RSS 公害の原点・水俣病、被害者より原因企業を優先する企業城下町と産学官財の癒着 福島原発事故にも同じ構図

<<   作成日時 : 2015/05/26 14:37   >>

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1995年に政治解決策が決定したはずの水俣病はいまだに終わっていない。そのことは、政府が公害を根本的に解決させる意図を持たないことを意味する。

日本の原子力推進の原点は中曽根康弘。その影はいまだに消えず。だから、福島第1原発事故も解決しない。



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河北新報   2015年5月24日(日)

繰り返す悲劇 水俣病から福島原発事故へ

命より経済 ひずみ再び
研究者 同じ構図見いだす


 戦後日本では輝かしい経済成長の陰で、工業化に伴う環境汚染が社会問題になった。1956年5月1日に熊本県で公式確認された水俣病は「公害の原点」とも呼ばれ、人命より経済を優先したひずみの象徴となる。被害調査に取り組んできた専門家らは、東京電力福島第1原発の事故に同じ構図を見いだし、福島へと向かう。

■根強い偏見と差別
 「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません」。青い海と緑の島に向かって立つ水俣病慰霊の碑に書かれている。公式確認から59年を経た犠牲者慰霊式に参加した患者の緒方正美さん(57)は「水俣病は終わっていない。偏見や差別は根強く残っている」と訴えた。
 水俣病被害を訴える人は増え続け、昨年8月には水俣病特別措置法に基づく救済策で、一時金の支給対象者は熊本、鹿児島、新潟3県で約3万2000人。中京大教授の成元哲さん(48)らは2004年以降、八代海(不知火海)沿岸や島々で水俣病に認定されていない住民ら1500人以上に、健康状態などの聞き取り調査をしてきた。

■世界史に残る事件
 「水俣病の歴史は、すなわち未認定患者問題の歴史だ。何度も解決が図られてきたが、そこから漏れた人たちが運動や裁判をし続けて裾野を広げている」と成さんは言う。
 韓国から東京の大学へ留学中の1995年、未認定患者に一時金を支払う政治解決策を村山富市政権が打ち出した。「これで水俣病は終わる」と教えられ、新潟や水俣を訪ねてから約20年。「公式発見から60年近くを経ても、裁判で国が訴えられている。世界の歴史に残る事件。水俣の社会運動史を書きたいが、まだ動いているから書けなくて困ります」
 東京電力福島第1原発事故の後、福島で調査に取り組む水俣病研究者が相次いでいる。成さんは、愛知県立大准教授の牛島佳代さん(45)らと共に2013年から、福島県の9市町村で、親子の生活への影響を聞く調査を毎年続けている。今年3月、調査結果を編著書「終わらない被災の時間」にまとめた。今後の長期に及ぶ調査も構想している。
 牛島さんは言う。「現地の人々の声に耳を傾けなければ、何十年も苦しんできた水俣の二の舞を演じることになる。特に子どもを抱える母親のストレスは大きい。皆さんの気持ちを置き去りにせずに向き合いたい」

■地域と住民が分断
 元環境相地球環境審議官で青山学院大教授の小島敏郎さん(66)は、水俣病と原発事故の類似点を挙げる。被害者より原因企業を優先する「企業城下町」の構造や、広範で長期に及ぶ被害補償、産学官財の癒着などだ。
 「水俣病の反省が原発事故に生かされていない」と小島さん。1995年の政治解決の後、水俣病の教訓を整理しようという事業を手掛け、地域の分断を目の当たりにした。反目してきた医師らは互いに顔を合わせるのも嫌がった。
 問題を収束させたい地域の圧力があり、住民も分断された。補償を求めて妥結する者、原因企業と直接交渉に臨む者、裁判を選ぶ者・・・。地元の融和を進め、教訓を伝える努力が続けられている。
 同じ悲劇が福島で繰り返されると小島さんは懸念する。「そうなればまた憎しみを生む。分断を和解へ導くには何が起きたかを確かめ、許し合うことが大切。そして国民によって成り立つ国が、民を見捨てることがあってはならない

【水俣病から福島第1原発事故に至る主な出来事】
1956年5月1日
 ・水俣病を公式確認
59年
 ・熊本大が原因物質は有機水銀との説を発表
65年
 ・新潟水俣病を公式確認
68年
 ・原因物質を生むアセトアルデヒド製造をチッソ水俣工場が中止
 ・同工場の排水に含まれるメチル水銀が原因の公害病と政府が認定
73年
 ・患者とチッソが補償協定締結
95年
 ・未認定患者に一時金を支払う政治解決策が決定
2004年
 ・関西水俣病訴訟で最高裁が国と熊本県の責任を認定
09年
 ・未認定患者救済の特別措置法施行
11年3月11日
 ・東日本大震災、東京電力福島第1原発事故
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時事通信社   2015年5月30日15:31JST更新
http://jp.wsj.com/articles/JJ11163034251993294554018706176940498469848

患者寄り添い半世紀=新潟水俣病、検診続ける女医—公式確認、31日で50年

 阿賀野川に排出されたメチル水銀を原因とする新潟水俣病が公式に確認されてから、31日で50年を迎える。発生初期から長年、患者の検診を続けてきた沼垂診療所(新潟市中央区)の内科医関川智子さん(73)は、「患者に寄り添うことのできる立場として、診察を続けて来た」と、半世紀にわたる活動を振り返る。

 自身も阿賀野川流域で生まれ育ち、公式確認直後から患者の検診に加わった。1977年、環境庁(当時)が複数の症状の組み合わせを水俣病認定の条件として以降、申請を棄却される患者が増加。自分が水俣病と診断したのに、認定されない人も相次いだ。当時は疑問を感じながらも、「国の方針だから仕方ない」と患者に話していた。

 未認定患者らが82年に起こした訴訟で、原告を支援する医師団に参加。弁護士から「自分の診断を『違う』と言われて、頭にこないのか」と聞かれ、意識が変わったという。「診断には責任を持たなければ。いいかげんにはできない」。増え続ける患者を精力的に検診する一方、裁判でも証言台に立ち続けた。

 「たかがしびれ、されどしびれ」。水俣病の代表的な症状である手足の感覚障害を、関川さんはこう表現する。結婚後に発症したある女性患者は、しびれのため日常生活に支障が出ただけでなく、性生活が困難になり、離婚に至った。「おおっぴらにはできない」と泣きながら夫婦間の不和を打ち明けた姿が、同じ女性として忘れられない。

 「彼女たちが話してくれたことを生かさないといけない。行政に対し、おかしいことはおかしいと言える立場でありたい」。偏見を恐れ、水俣病と診断されながら周囲に隠している潜在患者らを支えるため、関川さんは診療を続けている。
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偏見を恐れ、水俣病と診断されながら周囲に隠している潜在患者ら → 【公害の原点・水俣病、被害者より原因企業を優先する企業城下町と産学官財の癒着 福島原発事故にも同じ構図】 Behind the Days http://bit.ly/1IWWDSH https://pic.twitter.com/wjaxQp4SyV

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