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zoom RSS 【飯舘村・比曽から問う】 家屋の裏は別世界 下がらぬ線量 埋もれる農地 帰村を迫られる住民の問い

<<   作成日時 : 2015/08/26 19:04   >>

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環境省は落ち葉など堆積物を除去するのみで林床(腐葉土の層)のはぎ取りを行っていない。もし帰還させるなら、政府や東電や原発推進論者が責任を持ってきちんと隅々まで除染すべきである。除染できないのなら、帰還させることはできない。そんな簡単なことがわからないお役人さんが、どうして給料を受け取るんですか?



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河北新報   2015年08月18日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150818_63016.html

<避難解除問う>家屋の裏は別世界

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地区の全戸を回り、家屋除染の検証測定をした菅野さん(左)と岩瀬さん=7月17日、福島県飯舘村比曽

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 「この現状で帰れと言うのか?」。東京電力福島第1原発事故の被災地の避難指示を2017年3月に解除する−との政府方針に、全村避難中の福島県飯舘村から疑問の声が上がっている。地元の要望に沿わない除染と下がらぬ放射線量、集落消滅の危機にある共同体の再生、撤去時期未定のまま農地を占める仮々置き場。問題山積の中で帰村を迫られる住民の問いを、同村比曽地区から伝える。(編集委員・寺島英弥)

◎飯舘村比曽から(上)下がらぬ線量

<行政区が検証>
 「比曽行政区 放射線測定中」。こんな紙を貼ったバイクが、雑草が伸びた牧草地の道を戻ってきた。
 荷台の箱には放射線測定器。遠くに見える民家まで往復し、家の周りを徒歩で一巡し、線量を測った。
 飯舘村比曽の前区長、菅野啓一さん(60)がバイクを降り、相棒の岩瀬広さん(40)に測定器を渡した。
 3年前から地元の住民活動を支援する、つくば市の放射線専門家だ。測定経路のデータはその場でパソコンに入力され、画面に浮かぶ地区の地図上に載った。
 7月17日午後3時半。「これで比曽の約90軒の測定が全部終わった」と、菅野さんが一息ついた。測定は5月下旬から延べ5日間にわたった。昨年春から環境省が行った地区内の家屋除染の効果を、行政区が独自に検証する活動だった。

<「傾向は明白」>
 比曽は飯舘村南部、村唯一の帰還困難区域である長泥に隣接する。村内に15地区ある居住制限区域の一つだが「ここは高線量地区なんだ」と菅野さん。
 村の定点測定(宅地)の空間線量は、原発事故後の2011年4月の8.45マイクロシーベルト毎時から、ことし4月に2.54マイクロシーベルトに減った。が、政府の避難指示解除要件の年間20ミリシーベルト(毎時単純換算で2.28マイクロシーベルト)をなお超える。
 菅野さんはこの日の測定後、岩瀬さんと自宅に戻って、初めてそろった地区全体の数値をパソコンで見渡した。「傾向は一目瞭然だな」。家屋除染を終えた大半の家で、玄関側の線量は1マイクロシーベルト前後に下がったが、居久根(屋敷林)や山林に面した裏手を見ると、3〜4マイクロシーベルト強の数値が並ぶ。同じ家でも別世界の様相だ。

<実情に対応を>
 「原発事故から4年たった今も、木立に付いた放射性物質の影響が強い」と岩瀬さんは話す。環境省の除染では、家の居久根や裏山について林床の落ち葉など堆積物を除去するのみで、はぎ取りを行っていない。
 防風林を研究し、比曽で居久根を調査する辻修帯広畜産大教授は「落ち葉が林床で分解すると、放射性物質が葉から離れ、雨水で腐葉土層の下まで浸透する。表面の堆積物除去だけでは足りない」と分析した。
 比曽行政区は昨春、役員や元区長らの除染協議会を設け「高線量地区の実情に応じ、はぎ取りを」と環境省福島再生事務所に要望を重ねる。「比曽は農家が大半。家にこもっては生きられない。居久根も生活圏なんだ」と、除染協議会メンバーの菅野さんは言う。
 12年9月、自宅の居久根の除染実験を自ら行った。農閑期の土木工事で重機を操った腕で、林床を深さ十数センチはぎ取り、高さ約10メートルまで枝を切り、線量を9マイクロシーベルトから2マイクロシーベルトまで下げた。「俺たちが確かめたやり方で、再除染をしてほしい。17年3月の期限と住民の安全、どちらが大事なのか」

[メ モ]政府の避難指示解除要件の一つは、空間被ばく線量が年間積算で20ミリシーベルト以下になるのが確実なこと。福島第1原発事故後に採った暫定基準。長期的に「年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベルト)以下を目指す」とする。チェルノブイリ原発事故の5年後にできたチェルノブイリ法は、年間5ミリシーベルトを移住義務の一線とする。
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河北新報   2015年08月19日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150819_61008.html

<避難解除問う>築いた縁 消失危機

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避難後、初の共同作業となった墓地の草刈りに集った住民=2日、福島県飯舘村比曽

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◎飯舘村比曽から(中)共同体の行方

<4年ぶり作業>
 お盆前の2日朝、福島県飯舘村比曽の盆地を見渡せる墓地で草刈り機がうなっていた。約60人の農家が手慣れた作業で、みるみるうちに雑草を刈り払った。
 「大勢の仲間が久々に顔をそろえてお墓をきれいにし、先祖たちも喜んでくれているだろう」
 あずまやで涼む住民たちに行政区長の菅野秀一さん(53)があいさつした。墓地敷地の堆積物除去工事が終わったのを機に、東京電力福島第1原発事故後、初めて催す共同作業だった。
 「それぞれ避難先で4年余り暮らし、皆、集まりたい気持ちは一緒だった」
 こう語る秀一さんは、勤務先の電気工事店がある隣の川俣町に避難中だ。2012年3月に区長となり、区長経験者を加えた除染協議会、婦人会を入れた復興委員会を設け、山積する課題を毎月話し合ってきた。
 「きょうの活動を比曽の共同体再生の始まりにしたいが、全ては手探りだ」

<周辺部後回し>
 「村は、中心部のいい所にだけ『復興拠点』を作る計画を立て、周辺地区は後回しか。私は比曽に帰りたい。どうすればいいのか」
 5月27日夕、福島市の飯舘村飯野出張所(仮庁舎)であった、村幹部と比曽地区住民の懇談会。前々区長だった菅野民雄さん(69)が厳しい表情で問うた。
 17年3月に避難指示解除という国の方針が報じられた後で、住民たちの質問も「帰村の可否」に集まった。民雄さんが挙げたのは、懇談会で村が配った復興計画案・第5版の内容だ。
 便のいい県道沿いの深谷地区に道の駅とコンビニ、ホール、復興住宅、働く場となる花栽培施設がある「復興拠点エリア」を避難指示解除までに造るという。
 比曽など他の周辺部地区の復興の道筋は計画案で触れられず、懇談会では「戻りたい人は年寄りが多く、姥捨山(うばすてやま)になる」との声も出た。
 民雄さんは比曽にある羽山神社総代も務め、区長時代、共同体の結束を生かす地区づくりに取り組んだ。
 「飯舘では昔から、施設や行事が中心部の地区に集まり、『何くそ』との自立心が俺たちに芽生えた」

<帰る人 孤立も>
 18年前、同じ周辺部の佐須、長泥など5地区の人々が交流し語り合う「わいわいがやがやサミット」を始め、震災前年まで続けた。
 草刈りをした墓地のあずまやは「墓参や農作業の休み場に」と地区が計画し、総出で井戸も掘って手作りしたミニ公園だ。が、共同作業の源だった農業は4年間絶え、何戸の住民が戻るか五里霧中だ。「神社は除染されたが、この先、管理や祭りをやれるかどうか」
 17年3月の再出発は地区消滅の瀬戸際から始まるのか。区長の秀一さんは「皆、墓は比曽に残すと言っているが、離れる人も関わり続ける共同体を維持しないと、帰る人も、離れる人も孤立する。行政区ごとの再生を村と国は全力で支援してほしい」と訴える。

[メモ]政府はインフラやサービスの復旧を避難指示解除の要件とし、新しい中核とする復興拠点整備を福島再生加速化交付金で促す。これに対し比曽行政区は村に質問書を出し、徹底除染とともに(1)年金に頼る高齢者世帯、収入ゼロから始まる農家の生活支援(2)地区の商店、事業所再開の支援(3)行政の巡回窓口、訪問サービス−など地区からの復興を求める。
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河北新報   2015年08月20日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150820_63004.html

<避難解除問う>先見えず募る不安

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水田を埋める約30ヘクタールの仮々置き場の造成現場と菅野さん=福島県飯舘村比曽

◎飯舘村比曽から(下)埋もれる農地

<広がる黒い山>
 トントントン。福島県飯舘村比曽の盆地の一角、赤いサイロがある民家の改築工事が進む。古い母屋が骨組みだけになっていた。
 「4代前の先祖が明治45(1912)年に建てた。ふすまを外すと『田の字』の広間になり、昔は結婚式も葬式もここでやった」。家主の農業菅野義人さん(62)は大黒柱をさすった。
 2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、飼っていた繁殖牛36頭を手放し、失意に沈んだ。が、「比曽に帰って農業を再生したい」と決意し、二本松市の避難先から通う。
 避難中に傷んだ母屋の改築では太い柱、はりをそのまま残す。「生業も家の歴史も共に、次代に引き継ぎたい」との願いからだ。
 だが、家を一歩出た外界の風景は残酷だ。盆地の中央には今、環境省が、除染作業で出る汚染土の袋を集積する仮々置き場を造成中で、菅野さんの水田2.1ヘクタールもその下に埋もれる。
 比曽の仮々置き場は広さ約30ヘクタールとされる。地区挙げて区画整理を行った水田の半分を同省が借り上げた。その一部で汚染土の黒い袋が積み上がっている。農地の除染がことし進むにつれ、黒い山も広がっていく。

<除染が長引く>
 「優良農地に置かれては復興を妨げ、見た人は帰村意欲をなくす。別の場所はないのか」。菅野さんは昨年11月、行政区の除染協議会で借り上げ要請に反対した。同じ思いの仲間と、せめて3年の期限をつけようとも訴えた。ずるずると居座られる懸念があった。
 その予想は当たった。5月27日にあった村幹部と比曽の住民の懇談会。今後の除染工事の工程表が示され、放射線量が低い2地区を除く、比曽など17地区で、政府が決めた「避難指示解除」時期の17年3月を超えて数年間、農地除染とその後の地力回復作業が長引くことが分かった。

<役に立たぬ砂>
 汚染土は同県双葉、大熊両町に建設される「中間貯蔵施設」へ搬出される予定だが、そこではまだ用地の契約さえ進んでいない。
 菅野さんら除染協議会は先日、農地除染(深さ5センチのはぎ取り)の後に盛られる土の見本を、環境省の現地担当者から見せられた。
 「黒い土ではなく、山の砂だった。水田が仮々置き場で埋まるなら牛の牧草地をまず再生させたいが、砂では何の役にも立たない」
 別の問題も農地に広がる。イノシシが餌を求めて至る所で土を掘り、汚染土を深さ30センチ前後もめちゃくちゃに混ぜる。環境省の基準通りの除染方法で対応できず、先の懇談会でも「そんな除染をされては困る。不安だ」と住民が訴えた。
 「17年3月で帰れと言われて生業をどうしろというのか。除染を終えて仮々置き場を撤去し、それから避難指示を解除するのが筋道ではないか」。政府は「復興」を早く宣言しようと、その筋道を切り離したのかと菅野さんは問う。宣言の先にあるのが「復興五輪」か。

[メ モ]仮々置き場は、当初飯舘村が村内で一本化した仮置き場の候補地を、環境省が「地理的に不適」として、代わりに地区ごとに借り上げた。「中間貯蔵施設」に搬出するまでの期間は明示していない。比曽だけでなく村内の多くの地区で山や牧野より造成工事が容易な農地が選ばれた。
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