時間の流れに関する考察

 今この瞬間の自分は、1秒前の自分とは異なる。そんな感覚を持ったことはないだろうか?

 常にというわけではないが、私にはあった。ふと「いつの間にか、(自分という船の)自動航行システムが進路を切り替えたな」という確信を持ったことがあった。この感覚を認め、そこから拡張して考えてみると、「一瞬一瞬ごとに、人はバージョンアップした自分を生み出し続けているんだ」ということが妙に納得できる。ここに、時間の流れに関する私の考察はまとめようと思う。

 これまでのどの瞬間の自分を取り出してみても、すべては違っていたのである。そもそも、現在の自分が過去の自分の延長である必然性はなかったのである。だから今後も、過去の自分とは切り離された新しい自分を生み出し続けることは可能である。

 過去の自分が過去に経験してきたことが大事な財産であることは間違いない。しかし、それをベースにする必要はない。切り離して考えても良いのである。すべては、自分の選択の結果である。どれを選ぶのも自由なのである。
 「自由ではない自分」を選ぶのも自由である。でも、それもそろそろやめにしても良いのではないか?

 要するに、人はバージョンアップした自分を生み出し続け、それを順番に並べてオリジナルのストーリー(紙芝居)を創造していく。その順番が「時間」であり、「大きい番号に向かって順番にストーリーが展開していく」という大原則を決めたのである。それは大多数の他人との合意でもあり、それを受け入れたのも自分である。人間社会における大原則と言えるが、他人を妨害しない範囲であれば、一時的にその大原則から離れることも可能である。それは例えば、睡眠であったり、「無我夢中で時の経つのも忘れる」といった形ですでに実行しているのであり、決して禁止されていることではないのである。

 おそらく、夢を見たことがない人はいないと思う。睡眠から目覚めた時に、記憶にはないことなのに妙にリアルな夢の内容をはっきりと覚えていることがあるが、たいてい時間とともに思い出せなくなっていく。そんな夢とは一体なんなのであろうか?それは、「人間は時間の経過という制約から自由になることができる」ということを暗示していると思う。徐々に夢の内容を忘れていくのは、大原則に戻っていくことを自分が選択しているからである。

 時には「紙芝居」の中の主人公を演じて感情移入を楽しむ一方で、それを客観的に見つめる本来の自分に戻る。それも自由であるはずである。自分が自分に課した制限を取り除くのもまた、自分である・・・そして、自分は他人でもある。




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 パラレルワールド 進路

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