人間とは・・・ サイコロの1面にたとえよう。 サイコロは6枚の平面で構成され、各面は独立である。

正方形のある面から他の面が見えないのであれば、
他の面が存在していることを信じても良いし、信じなくても構わない。

でも、普段、人間がサイコロを見るように
第3者的な立場でサイコロを見れば、
直交した6面がひとつに揃ったものでなければならない。
単なるひとつの正方形の面ではなく、他に5個の独立した面がある上に、
立方体という奥行きのある立体的存在なのだ。
それが、サイコロの定義であり、サイコロの個性であると言える。
「そうであることを忘れてしまうなんてどうかしているよ」
と言いたくならないだろうか?

面であると考えるか、立体として考えるか。
どちらを選ぶかは自由である。
どちらかが禁止されている訳ではないことに気がつくべきだろう。

たいてい、そこには、あらかじめ刷り込まれた観念による束縛が存在する。
2次元に制限されなければならないという観念による束縛である。
その制限を課したのは、他でもない。自分である。

面と面が接する境界線の向こう側を想像するためには、
それを超越する必要がある。
その束縛から自由になりたいと思った瞬間、
束縛は消えてなくなる。
自分の中ですべての手続きが完結するのだ。

さらに、観念による束縛が幻であったことに気づけば、
この宇宙が3次元を超えた多次元的構造を持っていることを
もはや否定できなくなる。

中学・高校の物理で習う”エネルギー保存則”が
本当に宇宙の法則と言っていいのかどうかを確認するためには、
3次元空間の束縛を超越する必要がある。
「エントロピー増大の法則」を信奉する一方で、
「フリーエネルギーの存在」を否定するのは、矛盾しているように感じる。
知らず知らずのうちに、他人の観念が刷り込まれているのかもしれない。

「宇宙の本質は創造であり、人間の本質は好奇心である」
と言っても良いだろう。
そして、「創造」=「好奇心」である。
また、人間の心の作用は、物質的な作用よりも上位にあり、
3次元空間での様々な事象の原因になっている。
これまでの自分の人生と、その中での自分の心の作用との
関連性を考えてみるとそのように結論できる。

人間はサイコロの1面にすぎない。
多次元的本質を、ひとつの3次元的”平面”上に投影して表現しただけである。
自分が作り出した観念による束縛から逃れることは禁止されていない。
クモよりはるかに大きな人間が、クモの巣に引っかかったからといって、
何を恐れる必要があるだろうか?
動揺することなく落ち着いて、クモの巣を取り払えば何も問題はない。
クモの巣の感触を味わい、クモの行動をじっくり観察したければ、
そうすればよい。

この宇宙の中で、時間の流れは必ずしも一様ではない。
現に、人工衛星と地上の間の時計のズレを補正するようなことも
行われていると聞いているので、それは真実なのだろう。
ならば、時間の流れの概念が極めてローカルなルールである可能性も否定できない。
宇宙の本質に戻り、時間軸の上を自由に移動できてもおかしくはない。
すなわち、”忘れる”ということは起こらないということになる。

引き出しの奥に大事にしまっておいた本来の感性を引っ張り出してみてはどうか?
その場所を忘れてしまうということはないし、
その引き出しにはカギは掛かっていないのかもしれない。



楽しい 前向き 創造的 生き方 アセンション 変える 変わる 夢を叶える パラレルワールド 進路

 

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